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三渓園 その7



三渓園(さんけいえん)その7 2017年3月20日訪問

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三渓園 臨春閣
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三渓園 臨春閣
明治38年(1905)頃、大阪春日出新田の八州軒を購入、大正4年(1915)着工、同6年(1917)竣工
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三渓園 臨春閣
千利休の意匠による聚楽第北殿で文禄4年(1595)に桃山城へ、元和6年(1620)の取り壊しの際に将軍・徳川秀忠から紀州候に下賜
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三渓園 臨春閣
紀州候は堺の商人・飯野左太夫に与え、大阪春日出新田の飯野家の別荘に移築させた
凡そ150年後、飯野家から清海家に渡り、三渓は清海家より購入した 原三渓は臨春閣の来歴を上記のように考えていた
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三渓園 臨春閣
この工事報告書で、建築史家・藤岡通夫は桃山御殿説を否定している
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三渓園 臨春閣
藤岡は、紀州徳川家の紀ノ川沿いの別荘・巌出御殿(慶安2年(1649)竣工)が大阪に移り、三渓園に移設されたと推測した。この藤岡の巌出御殿説が有力な説とされている
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三渓園 臨春閣
西和夫氏は「三渓園の建築と原三渓園」(有隣堂 2012年刊)で春日出新田会所説を紹介している
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三渓園 臨春閣
雑賀屋七兵衛は元禄15年(1702)に春日出新田開発に着手している
春日出新田会所もこの頃に建設されたと考えられる
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三渓園 臨春閣
享保7年(1722)には新田の所有者は食家(飯野家)に移り、天保10年に紙屋お亀へ、そして明治に入り清海家の所有となった
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三渓園 臨春閣
民家風の春日出新田会所を三渓が数奇屋風書院に改めたと西氏は考えている
    

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